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志茂田景樹の隊長のブログ作品集 No.18

 

可もなく不可もなくでは不満が残る4


  「大きな矛盾とは、どんな矛盾かね?」
  沙苦里が催促した。
  高い鼻の尾根に沿って細かな汗の粒を無数に浮かせている。
  「先ほども言いましたようにかよは養父佐野安吉に伴われ、弟の辰蔵とともに、明治38年12月の、それもだいぶ押し詰まってから北海道に渡っています。仮にこのとき、テレビ番組のシナリオのようにきみちゃんを連れていたとしましょう。厳寒の開拓地のことで、しかも、0からのスタートです。子育ては無理ということでヒュウエット師夫妻に養女に出しました。
ところが、ヒュウエット師夫妻は明治38年と39年は一時帰国し、教会の仕事で母国アメリカだけでなく、ヨーロッパを忙しく巡りました。つまり、この両年は日本にはほとんどいないのです。きみちゃんを渡せるわけがありません」
  「なるほど、それは矛盾している」
  沙苦里はもじゃもじゃ頭をガリッと1回かきむしり、メタルフレームの眼鏡を押し上げた。
  「40年から41年8月までは札幌に居住しています。仮に百歩譲って40年に養女に出したとしましょう。この年のいつ、鈴木家が入植地を去り、札幌に移ったかは知りません。少なくとも函館大火の直後には雨情と出会っているわけですから、その前後のことでしょうね。同じ札幌できみちゃんはすでにヒュウエット師夫妻と暮らし始めていたわけです。母親のかよはそのことを知らなかった。物をあげたのだったらあとはどうなろうと知らないでもいいですが、お腹を痛めたわが子を養女に出したのですから、その養家の素性ぐらい知って当然です。かよは亡くなるまできみちゃんがアメリカに渡り、宣教師の養家で暮らしている、と信じて疑いませんでした。小説的に、ヒュエット師夫妻が帰国に当たり、きみちゃんが結核で船旅は無理と判断し、鳥居坂教会の永坂孤女院に預けたとしましょう。日本で伝道に当たっていたメソジスト派の宣教師が同じメソジスト派の孤女院に訳を話して預けるわけです。記録に残っていた可能性が高いです。亡くなれば当然、ヒュエット師の許へその知らせが行きます。ヒュエット師は母親のかよに知らせるでしょう。きみちゃんが北海道に渡ったと考えるのは、その根拠のカケラさえ見つかっていないので、無理無理ですね」
  「うーむ。無理無理かねえ。無理が通れば・・」
  沙苦里は首をひねった。
  「道理は引っ込みません。番組取材班はアメリカのメソジスト本部へ問い合わせて、がっくりの回答を得ています。ヒュエット師夫妻には実子もいなかったし、誰かを養女にしたという事実もありません、と」
  「なぜだ! なぜかよは異人さんの宣教師に連れられてアメリカへ行ったと信じていたんだ?」
  大蛇川がけたたましく叫んだ。
  ヒステリー体質かもしれない。
  「佐野安吉に注目ですよ。オロオロガワさん」
  「大蛇川だ」
  「これはご無礼仕った。明治37年9月19日にきみちゃんを養女にした佐野安吉は北海道に渡るまでの間に、誰かに永坂孤女院のことを聞いて、これ幸いときみちゃんを預けたのだと思います。実質的には捨てたのでしょうね。かよにはアメリカ人の宣教師が引き取ってくれたとかなんとかいい加減なことを言ったのだと思いますよ」
  「安吉のことをよく知るかよには薄々わかったかもしれないな。しかし、だからこそ安吉の
言を無理にも信じ、わが子の幸せを願ったんだろう」
  沙苦里がしんみりと言った。
  「鈴木夫妻は、その後も苦労していますね。大正年間には樺太(現サハリン)に渡りました。佐野安吉も大正12年(1923)に樺太に渡っています。大正14年には鈴木家をふらりと訪れています。それからしばらくして、その地で亡くなったそうです」
  「きみちゃん像は意味がないことになるなあ」
  沙苦里が鼻の細かな汗の粒を右の人差し指でこすりながら呟いた。
  「でもないですよ。麻布十番ゆかりの永坂孤女院で薄倖の生涯を閉じていますし、異人さんに連れられて・・云々のところを除いてもドラマチックですよ。青山墓地には鳥居坂教会の共同墓地がありますが、ここにきみちゃんは佐野きみとしてそれぞれに事情があったほかの57人の人たちと眠っています。墓碑には(キリストに在りて 世に勝ち召されて天にある 聖徒たちの碑)と刻まれていました。麻布十番にくる前に立ち寄って見てきましたが、大勢の仲間と永眠できて幸せかもしれません」
  「きみちゃん像はほかに5つあるというじゃないか」
  大蛇川が思い出したように言った。
  「はい、麻布十番のきみちゃん像と日本平山頂にあるきみちゃん像はいいとしましょう。日本平は旧不二見村の生まれ故郷にあるわけですから。横浜山下公園にあるものは無関係ですね。ただ(赤い靴)に歌われた架空の女の子の像としてならおかしくない。北海道留寿都町にあるきみちゃん像は縁もゆかりもないです。小樽市運河公園や、函館にあるものも、きみちゃんは北海道にいた事実がないわけですから無関係ですね。札幌にも作ろうという話がありましたが、どうなりましたかねえ。噴飯物は青森県の鯵ヶ沢町にも作ろうという話があったことです」
  「どんなゆかりがあるんだね?」
  「きみちゃんとは会ったこともないはずの義父鈴木志郎の出身地です」
  「そりゃ、ひどい}
  沙苦里は笑い出した。
  吾輩も顎の関節を震わせて笑った。
  しかし、誰一人として吾輩が笑ったことには気づかない。
  「きみちゃん像はとうとう輸出もされました。山下公園にあるものと同じタイプの像が、今年、サンディエゴの海辺に建ちました。6月27日にその除幕式が行われています」
  「それはどんな縁かね?」
  「サンディエゴは横浜市と姉妹都市です。空海が杖を突いたら清水や、温泉が湧き出したという伝説が至るところに残っていますね。麻布山善福寺境内にある柳の井戸もその一つですね。千年経ったらきみちゃん像は増殖して世界各地に建っていますよ、きっと」
「伝説とはそういうものだ」
  沙苦里は、突然、立ち上がった。
  リビング中央に出ると、いきなり逆立ちした。
  ヨーイヨイ、と発声しながらS字状に巧みに逆立ち歩きを始める。
  沙苦里の得意芸だった。
  「なんだい、あれは?」
  あっけにとられて、大蛇川がコハマに訊く。
  「大学の研究室でもよくやっていますよ。前立腺肥大の予防だそうです」
  「効くのかなあ」
  「トイレに行きたくなると、やって我慢するんです。頻尿は前立腺肥大の症状の一つですから。逆流するので我慢できるという理屈でしょう」
  見ているだけで、吾輩は馬鹿らしくなった。

〈続く〉

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