可もなく不可もなくでは不満が残る3 パロディ吾輩は猫である2010 志茂田景樹の隊長のブログ作品集|志茂田景樹のWeb絵本-読み聞かせ劇場|しもだ-かげき|直木賞-児童書-作家

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志茂田景樹の隊長のブログ作品集 No.17

 

可もなく不可もなくでは不満が残る3


沙苦里がわざとらしい咳払いをした。
オハマに話の続きを催促している。
吾輩は小さくあくびをした。
オハマの熱弁に大あくびをしたら失礼になるだろう、とオハマを見ながらつつましくあくびをしたのである。
パティオ広場のきみちゃん像には募金箱が組み込まれている。
その管理は商店会がしていて、実際の管理者は大家の飼い主の洋品店ハタムラの主人である。
大家の話ではその募金額は、累計で1千万円を超えたという。
募金者のほとんどは北海道の新聞の報道、北海道のテレビ局制作の全国放映の特番によってほぼ定説化した「赤い靴」悲話を信じて浄財を投入していったに違いない。
吾輩も人間世界のこととは言え、その悲話を信じてホロリとしたくちである。
オハマの話は終わりまで聞きたい、と思う。
「伝道開拓村の生活はかなり悲惨なものでした。かよの弟の辰蔵は入植して1年も経たないうちに病死しています。明治40年(1907)の暮れに、ついに伝道開拓村は破綻しますが、それより早くに見切りをつけて鈴木一家は札幌に移ったものと思われますます。そして、志郎は北鳴新聞社という発行部数900の新聞社に勤め口を得ました」
「部数900の新聞社なんてやっていけんのかねえ」
大蛇川が150センチそこそこの短躯に乗っかっている猪首を強く振った。
「当時の北海道は新聞の戦国時代でした。大中小の新聞が割拠し、しかも、離合集散常ならず、朝A紙が潰れれば夕にはB紙が発刊されるという具合でしてね」
オハマは名調子の日本語を速射砲のように大蛇川に浴びせながら、白く輝く歯を見せて一瞬笑った。
大蛇川はグウの音も出ない。
吾輩は日本語の達者さもさることながら、オハマの記憶力の凄さに右前足で前頭部をちょこっとなでた。脱帽!のポーズである。
これまでメモの一端さえ取り出していないのである。
「志郎は北鳴新聞社でやはり入社して間もなくの野口雨情と出会います。雨情はその年の8月25日に起きた函館大火で職を失い、札幌に逃れてきて旧知の北門新報社の記者小国善平筆名露堂を頼り、北鳴新聞社を紹介して貰ったことになっていますが、函館にいたときに勤めていたのが北鳴新聞社で、札幌で入社したのは北門新報社だという記録もあります。確たる史料がないためです。ところで、やはり、函館で勤めていた函館日日新聞社が焼け、小国を頼って9月14日、札幌へやってきた人間がいました」
「石川啄木だな」
沙苦里が呟く」
「そうです。翌15日には北門新報社へ校正係として入社しています。この前後に雨情と啄木は小国の紹介で知り合っています。この頃、小樽では小樽日報を創刊しようという話が進んでいて、啄木の年譜によると9月18日には小樽日報へ入らないかという話が出ています。
同月の23日には入社が決まり、27日に小樽に移り、翌28日に初出勤しています。雨情の年譜にはこのように細かい記述はありません。しかし、小樽へは啄木より早く入っていることを示す記録もあり、10月1日には啄木、雨情が小樽日報の創刊に関わったという記述が雨情側のの年譜に見られることから、この時期の二人はほとんど行動を軌にしていたとみていいでしょう。10月15日、小樽日報は創刊されました。しかし、間もなく内紛がおき、嫌気がさした雨情は10月30日に小樽日報社を去りました。しかし、小樽を去ったわけではなく、翌明治41年3月、小樽で長女みどりが生まれています。8日目に亡くなってしまいましたが、
後年の作品[赤い靴〕には儚く散ったこの長女への惜別の想いが込められているという研究者もいます。また[シャボン玉〕のほうによりその想いが込められているという人もいます」
「鈴木志郎はどうした?そっちが本題だろう」
大蛇川がつい声を荒げた。
「しばらくしゃばらく。すぐに志郎は出てきます」
オハマは大きな掌で大蛇川の背中を軽くなでて話を続けた。
「啄木のほうは12月12日、まだ尾を引いていた内紛劇の一環で事務長と口論、激高した事務長に殴られ、翌日から欠勤、そのままやめてしまいました。このあと、釧路の新聞社にいくことになりますが、それはここでは関係ありません、志郎の話に戻ります」
「志郎も小樽日報社に入ったんだね?」
沙苦里が合いの手を入れる。
「それは確実ですね、〔悲しき玩具]に出てくる歌は小樽日報時代の志郎のことですから。
問題は岡そのが札幌時代に雨情一家と家が隣り合わせになり、かよが雨情に異人の宣教師にきみを養女に出したと話したということです。雨情が札幌に住みだしたのは8月25日の函館の大火以降のことで、翌9月には小樽に移っているわけですから隣同士だったのはわずか1ヶ月ほどです。それに、この年の1月にそのの実姉になるのぶが生まれています。そんな状況の中で、当時で言えば不義の子のきみちゃんのことを話すでしょうか。そのはかよから聞いたことに基づいて新聞やテレビ局に話していますが、これはどのようにしても確認できない事柄です。テレビ番組では養女養父はヒュエット師夫妻という設定になっていましたが、そのヒュエット師夫妻は明治38年から39年にかけて一時帰国して再来日して、40年から41年8月に帰国するまで札幌の教会にいました。番組のシナリオ通りなら、かよはみきちゃんを伴い、伝道開拓村に入植したが、過酷な環境で育児もままならず養女に出したことになります。しかし、ここで大きな矛盾が浮かび上がってしまいました」
オハマは大蛇川に顔を向けた。
ちょうどオハマの横顔をにらんでいた大蛇川はおろおろしてどんぐり眼をパチクリさせた。

〈続く〉

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